芸能テロ

2chの芸能の反応をまとめています

    タグ:ジャニーズ

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    1 :ダークホース ★@\(^o^)/:2016/04/12(火) 16:25:22.36 ID:CAP_USER*.net

    毒舌芸人が売りだったタレント、有吉弘行(41)。お笑いコンビ・猿岩石のブームが去って、あの人は今状態だったのが、再ブレークできたのは、あの「毒舌あだ名」だった。

    「タレント、ベッキー(32)には『元気の押し売り』などと、的を射たあだ名を付け、たちまち人気となったのですが、SMAP・木村拓哉(43)に説教されたのがきっかけで、今ではやめてしまいました」というのはスポーツ紙記者。

    確かに、最近の有吉は司会業が好調で毒は消えたように思う。

    「有吉は毒舌あだ名がブレークしていた時期、『SMAP×SMAP』(フジテレビ)のゲストとして招かれました。事前のうち合わせではあだ名を命名する予定はなかったんですが、SMAPメンバーに促され、全員のあだ名を付けることになったんです」

    それは期待されて当然だよね。

    「ところが、有吉はこのとき何の準備もしていませんでした。仕方なく即興で命名することになったんですが、『30分ほど時間をもらえませんか?最高のあだ名を付けますから』と言ったんです」

    で、どんな名前を考えた?

    「稲垣吾郎(42)が『寿命短め』、香取慎吾(39)は『マヨネーズビール』、草なぎ剛(41)は『エラ呼吸』、中居正広(43)は『ニセSMAP』、そして最後となった木村には『月9バカ』と名づけたんです」

    なるほど、確かに毒舌だ!

    「ところが、他のメンバーは平然としていたのに、木村はスタジオウラに呼び出して有吉に怒りをぶちまけました」なぜそんなに怒った?

    「やはり『バカ』という言葉に過剰反応したんです。キムタクは『40分以上も時間を費やして、このクオリティの低さは何なんだ』と叱りました。自分にも他人にも厳しいキムタクは『こんなあだ名なら1人1分で作れなきゃプロじゃない』と言ったそうです」

    有吉の様子は?

    「収録後、ガックリと肩を落として帰りました。番組放映後にジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏(84)から圧力がかかり、せっかく再起したのにまた仕事を干されると思ったようです。

    予想に反して喜多川氏は笑って終わりで、あだ名に関して一切おとがめなしでした。しかし、即興で命名できなかった有吉はすっかり自信をなくし、以後毒舌あだ名は封印されてしまいました」(先の記者)

    有吉があだ名をやめたのは、大手事務所の怒りではなく、自分自身の問題だったとは意外?!

    http://news.infoseek.co.jp/article/newscafe_1847191/
    【有吉弘行がSMAP木村拓哉に説教される「俺のあだ名のクオリティの低さは何なんだ」】の続きを読む

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    1 :ニライカナイφ ★@\(^o^)/:2016/04/08(金) 05:41:52.34 ID:CAP_USER*.net

    SMAPの解散騒動、やっぱり決着はまだついていなかったようだ。

    今年1月13日のスポーツ紙の報道からはじまったSMAP解散騒動。当初から事務所に残ることが報じられていた木村拓哉と、それ以外のメンバー。

    結局、「SMAP×SMAP」(フジテレビ)での不自然な謝罪会見で、強引な幕引きがされたと思われている。

    その後、冠番組「SMAP×SMAP」の継続がテレビ局側から明言されるなどもあったが、やはりXデーは9月の契約時期に待っているようだ。

    「9月の契約時期に中居君が事務所を去ることは、ほぼ間違いないようです。今でも大手芸能事務所への根回しは続いているようで、本人の心はすでに決まっているようですね」

    そう語るのはテレビ局関係者。さらに中居の後押しをしているのは、芸能界だけでなく、テレビ局だとも語る。

    「テレビ局は、たかが事務所の内部事情に振り回させれることにうんざりしていいます。そこで、影響力を下げるためにも、中居君を後押ししたいと考えているプロデューサー陣も少なくない。そんな背景も中居君はわかっているのでしょう」

    ファンからも、「もう痛々しいから中居君は事務所を辞めて欲しい」という声が大多数であり、むしろ、「ソロで頑張る中居君が見たい」というエールに代わっている。

    あとは確かな本人の決断を待つのみといったところなのかもしれない。

    http://npn.co.jp/article/detail/57123598/
    【中居正広はジャニーズ事務所を辞める「まだSMAP解散騒動は終わっていない」】の続きを読む

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    1 :ダークホース ★@\(^o^)/:2016/04/07(木) 10:12:59.09 ID:CAP_USER*.net

    SMAPの中居正広が駆け出しアイドルを演じるCMが4月1日にスタートした。スマートフォン向けゲームアプリケーション「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」(通称:デレステ)のCMだ。

    「スケートボーイ/お願い!シンデレラ」篇と「スケートボーイ/GOIN’!!!」篇がオンエア。中居はトップアイドルを目指す駆け出しアイドル「スケートボーイ」として登場している。

    80年代風の歌番組をイメージしたキラキラのステージで、黒髪マッシュルームカットのかつらをかぶり、胸に星のついたピンクのタンクトップ、白い短パン姿でお出まし。

    「お願い!シンデレラ」篇ではスケートボードに張り切って挑戦するも、失敗してしまうオチ、「GOIN’!!!」篇では、女性ダンサーたちに囲まれ隠れてしまうオチがついている。

    「歌や踊り、衣装やカツラはもちろん、CMのオチにいたるまで中居のアイデアがふんだんに盛り込まれました。中居はかつて光GENJIのバックでスケートボードをするために結成され、SMAPの前身となった『スケートボーイズ』に所属し、『スケートボーイ』という名称に思い入れがあった。

    自宅でひとり酒を飲み、若い頃のビデオを観ては『昔は良かったな~』とため息つくのが日課の中居なら、当然の反応でしょう」(芸能ライター)

    昔からのファンにとっても、懐かしい甘酸っぱさを感じさせるらしい。というのも、CMでは今後「スケートボーイズ」としてメンバーが増え、トップアイドルに成長していく内容が予定されているからだ。

    昨年放送された第1弾CMでは「SMAPで一番歌えない」キャラの中居がダミ声を張り上げ、歌とダンスの完全コピーを見せて話題になった。

    「あれはパロディとして迎えられましたが、今回は痛々しさが目に余るとして評価はイマイチ。10代の頃と激変したメタボ腹をさらして踊る姿は、はっきり言ってキモい。ドン引きさせられます」(芸能ライター)

    ダンスが特技と自負する中居だけに踊りは完璧。それだけに奇天烈な見てくれが一気に現実に引き戻してしまうようだ。
    http://news.infoseek.co.jp/article/asageiplus_55774/


    【SMAP中居正広「スケートボーイ」CMの痛すぎる若作りにドン引きの声】の続きを読む

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    1980年代後半の栗田貫一さんの宣伝材料用写真0328001572_comm
    ものまねタレントとして息の長い活動をしている栗田貫一さん25001177_comm

    1 :かばほ~るφ ★@\(^o^)/:2016/03/28(月) 12:50:50.69 ID:CAP_USER*.net

    これはものまねタレントとして売り出した1980年代に使っていた宣材写真です。実はデビュー前、ショーパブで歌っていた時にジャニーズ事務所に誘われたことがありますが、この写真を見たら納得しませんか?(笑)

    ものまねを人前で始めたのは、22歳で六本木のスナックで働き始めてからです。あまりにもお客さんが入らないので、勝手に俺がものまねのステージを始めたらすごい人気が出てね。それでスナックをショーパブ風にしたら、それこそ、俺を見るために来るお客さんで、毎日店がいっぱいになったんです。

    それがきっかけでデビューしましたが、当初は無名だから、いろんな場所に歌いに行っても辛かったよね。たとえば敬老会に呼ばれても、誰も俺のことを知らないから、一生懸命に有名な歌手の曲を歌っても全然ウケない。

    20分の持ち時間が3日間くらいに感じたものです。また、歌手の前座として、スナックを一晩に5軒回ることもありましたが、行くとお客さんが3人なんてこともありましたね。

    80年代後半に入り、ものまねの歌番組ができて人気が出たけど、最初は俺たちものまねタレントは盛り上げ役で、普通の歌手の人が優勝する形でね。

    それがだんだん変わってきて、ある時「ものまね王座決定戦」のプロデューサーの木村忠寛さんが、俺と清水アキラ、ビジーフォーとコロッケの4組を「ものまね四天王」と命名してくれたので、四天王の一人として注目されるようになりました。

    当時は90年代前半でバブル後半、しかもものまねブーム真っ盛りなので、番組のお金のかけ方がはんぱなかった。「ものまね王座決定戦」は、照明だけで3億円と言われ、12台のカメラが俺たちを常に撮影しているから、長い撮影時間でもみんな一瞬たりとも気が抜けない。

    ちょっとでも油断すると、プロデューサーから怒鳴られる緊張感の中、夜中の3時や4時まで撮影して、優勝者は目の前で100万円単位で賞金が渡される、そういう時代でした。

    それから約10年、仕事はフル回転。毎月、地方も含めたイベントやコンサートがパンパンに入っていて本当に忙しかった。でも今考えると、当時所属していた事務所は相当潤っただろうに、当の俺はなぜかちっとも儲からなかったというのが悔しいです(笑)。

    忙しい四天王が同じ場に揃うことはなかなかなかったけど、歌番組で誰かと一緒になると「こいつよりウケたい。絶対にうまく歌ってやる」と思ったので、結果的にものまねの実力を磨けたと思います。今もものまねタレントとして活動しているのは、やはりあの四天王としてがんばった時代があったからこそ。

    でも時々考えます。あの時、ジャニーズ事務所に入っていたら、俺は今頃どうなっていたんだろうってね(笑)。

    くりた・かんいち ものまねタレント。声優。1958年東京生まれ。84年放送の「第16回オールスターものまね王座決定戦」でプロデビュー。やがて清水アキラ、コロッケ、ビジーフォー(グッチ裕三・モト冬樹)と並び「ものまね四天王」と称される。山田康雄さんの後を継いで『ルパン三世』のルパン役の声優も務める。

    http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2016032521721.html
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